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ドクター岡田の健康談話室 第4回 日独血管外科学会

20年間継続している活発な日独血管外科学会の盛況振りについて

         日本血管内治療学会理事長      岡 田 昌 義

2018年8月16日―18日まで、第10回日独血管外科学会がフランクフルトのHotel Schloss Rettershof でフランクフルト北西病院の血管外科部長、Prof.Dr.Max Zegelman が会長で執り行われた。会場は、ターヌス(Tanus)山の頂上にあるお城であり、この城は1146年に修道院から端を発しており、第二次大戦後にはアメリカ軍に一時摂取されていたところでもあった。ここで2泊して、この会場の3階が学会場にあれられていたのである。まず、8月16日の午後8時から10時までの間、ドイツや日本人同士がこのお城の前庭に集まり、バーベキューが始まった、そこでは会長の挨拶があり、ようこそこそお城の宿に来てくれたありがとうという挨拶で始まったのである。ここへはフランクフルトの中央駅からタクシーしか交通の便がないのである。約40kmの距離にある風光明媚なところである。時間が近づくと三々五々人が集まり、お互いが挨拶をして回るという風景になった。ホテルの人がバーべキューの仕込みをしておりわれわれは焼いたものを食べるだけであった。ビール、ワイン、を中心に食欲がどんどん上がり、その晩は初めて夜空に無数の星を眺めることができたのである。空は真っ黒、きれいな星が町の中では見られないような夜空を観察することができたのである。

〈図1〉バーベキューによる宴席

8月17日(金)は、朝9時15分から受けの開始が始まり、9時45分から、ドイツ血管外科会長であるProf.Dr.Thomas Schmitz-Rixenが挨拶をされたのである。現在は、フランクフルト大学血管外科の教授をしているのであるが、現在ドイツ血管外科学会をしているのでドイツを代表しての挨拶であった。次いで、フランクフルト北西病院の総長であるTobias Gottschalk氏から、挨拶があったが、うちの血管外科のProf.Dr.Zegelman 氏を会長に選んでいただきまして有難うございましたという本当に丁寧な挨拶を頂いたのである。そして次がこの日独血菅外科学会の創設者である岡田昌義が挨拶をしたのである。この学会の公用語は英語であったが、あえてここはドイツ語で挨拶をしたのである。1989年12月に初めて神戸で第1回日独血管外科学会を開催したのである。これは非常に有意義な学会であった。この際、ドイツからは、Dr.Müller-Wiefel, Dr.Rühland, Dr.Raithel,日本からはDr.三島、Dr.坂口、Dr.勝村と私がこの発起委員会に出席し、会則に調印したのである。

そしてこの学会は、2年に一度ドイツと日本で交互に行うこととして、公用語は英語としたのである。その後時代は進み、日本側は3回目はDr.古謝、5回目はDr.太田、7回目はDr.福田、9回目はDr.末田教授などが担当し、ドイツ側は、2回目は、Dr.Imig, 4回目はDr.Raithel, Dr.Noppeney,6回目はDr.Brachmann,8回目はDr.Storck,10回目はDr.Zegelman教授連であり、この間20年間の歳月がながれているのである。いつの時代にあっても、ドイツと日本が共同に演題を出しあって共通の話題に話を絞ろうというのも大きな話題となっている。

さて、今回の第10回のプログラムを見てみると、ドイツからは14題の演題が、日本からは27演題、総計41演題が登録されていたのである。いずれも時代に沿った演題であり、何れも学問的に興味のある演題であった。大動脈瘤に対するステント留置術やこれの2分割するステント療法の意義などを加味した演題も見られた。また、ステントグラフト留置後の消化管との合併症などもあり、問題点も多くあったが、それなりに円滑に処理された報告も見られたのである。とくに今回は若い人の発表が増加していたのである。これは将来的にも大いに期待ができるものである。

図2日独血管外科学会の風景

図3日独血管外科による昼食会

第1目が終了した時点で18時からは、バスにてフランクフルトの町へ出たのであるが、途中でHessenparken に立ち寄り、いろんな建物や郷土の仕事ぶりや産業などのデモンストレションなどが行われているところに出向いたのである。民家や学校や教会などがあり、そのシステムが決まっており、当時の社会の状態がわかるのであった。

〈図4〉「Hessenpark」でのガイドによる説明会

また、産業などの発表も見られたのであるが、ほとんどの産物は、毛糸からできるマフラーや手袋などのいろんなバリエ―ションが製品と並べてあり、売られていたのである。夜の20時から、あるビール館に入って、そこで夜食を取ったのである。いわゆるドイツ料理というべき肉料理、ソーセージ、ジャガイモ野菜などのほか、ビール、ワイン、ジュースなどいろんなものが出され、全員は22時まで食べ続け、暑い環境の中で過ごし、バスにて帰路についた。ホテルは、冷房付きでとても涼しくほっとしたのである。翌2日目は、8時15分から発表が始まったのであるが、ドイツ人はほとんど出ていたのであるが、日本人は比較的少ないように見えたのである。午後3時までにすべての演題の発表が終了した後に午後15時から、バスにてフランクフルトに出て送別会が会長の友人が持っている酒場で開かれた。そこには学会以外のドイツ人が沢山来てくれていたのである。これらの中で心臓移植を専門としている女医さんと話が弾んだ。その人は、ご主人が血管外科医であるが、奥様が心臓外科医ということであった。

〈図5〉心臓移植外科医の奥様と共に

そこで話が弾んだのであるが、現在までに140例の心臓移植を行ったが、その成績は日本の成績よりも少し悪い状態であった。それは免疫抑制剤の使用方法がかなり関係しているようであった。このようなことはヨーロッパ圏内ではオランダにそのドナ―バンクがあるが、なかなかその需要と供給があまりうまくいっていないことにもよるものであった。

このような話をしているうちに時間がどんどん過ぎて行ってしまったのである。また、バスにてホテルまで戻り、最後の夜を過ごしたのであった。翌朝、朝食をしていると、会長のProf.Dr.Zegelman がやってきて、ここに座ってもよいかというのでどうぞと席を進めたのである。

(図6)会長とともに

また、しばらくすると、Dr.Noppeneyが来て、ここに座ってもよいかと聞いたので、どうぞというと彼はそこに座ったのである。ここのように人が入れ替わり、いろんな人と朝食をしながら、楽しい日々を過ごしたのである。このように短期間ではあったが、日独の友好のきずなが築かれたのである。