友の会とは

日本心臓ペースメーカー友の会(Japan Association of Cardiac Pacemaker Friends:JACPF)は1970年に設立され、感謝・報恩・奉仕の精神に基づいて、会員の健康で安心な日常生活の確保と社会福祉への貢献を目的として活動しています。
本会では、心臓ペースメーカー等植込みの方々との情報交換はもちろん、先生方との交流や会誌「かていてる」を通じて、正しい情報と知識を得ることができます。
様々な不安や問題を一人で抱えこまず、ぜひ、本会に入会され、元気に暮らしませんか。

会長挨拶

 日本心臓ペースメーカー友の会は創立以来50年以上経ち、心臓ペースメーカー等を植込んだ患者の会としては世界に類のない団体としてユニークな活動を続けてまいりました。その間に、心臓ペースメーカーの技術は極限まで進歩し、信頼性が向上するとともに各種の不整脈治療の機能を備え、心臓の活動とペーシングの状態を自動監視するシステムも普及しています。また、日本中どこでも最新の心臓ペースメーカーによる治療が受けられるようになっています。それに加えて、日本心臓ペースメーカー友の会は現在全国に30の支部を持ち、支部には数名の相談役の医師がおり、支部の集まりでは会員の様々な悩みや疑問に医師が答えてくださるQ&Aが行われ、その記録が会誌「かていてる」に掲載されて全国の会員に伝えられる仕組みが定着しています。

 これからの医療には、ただ延命を目的とするだけではなく、一人ひとりの患者のライフスタイルに合った医療をめざすように変わっていくことが期待されています。心臓ペースメーカーによる不整脈の治療においては、心臓ペースメーカーの機種の選択やペーシング条件の設定等に、患者と医師が協力して可能な選択肢の中からライフスタイルに合った治療を選択するようになってきています。日本心臓ペースメーカー友の会には2000余人の正会員がおり、そこに様々なライフスタイルの事例があり、その上130人以上の相談役の医師が積極的にかかわってくださっているのですから、これからの医療の基本となる患者中心の医療が本会ではすでに始まっているのです。このような日本心臓ペースメーカー友の会の更なる発展のために、皆様のご支援とご奉仕を心より願っております。

日本心臓ペースメーカー友の会
会長 戸川 達男

設立の経緯

植込み型心臓ペースメーカーは1963年(昭和38年)8月東京大学第二外科で国産第1号の植込み手術が実施されたが、当初は電極の破損、手術創の感染、患者のノイローゼ等々の問題が続出、これらの解決のため、東大胸部外科の三枝正裕教授、堀原一、須磨幸蔵、三井利夫先生方(いずれも当時)の主導でPMを植え込まれた患者の家族、医師、エンジニア等の関係者によって、1966年(昭和41年)5月12日「ペースメーカー友の会」が発足した。
(出典:堀原一.ペースメーカー患者の長期管理—「友の会」発足にちなんで.medicina. 1967;4(6):898-901. )

以後回を重ね、機器の改良、医療の進歩等多くの貢献を見たが、さらに全国的な組織へ発展させるため、当時ペースメーカー植込み患者として医師第1号の早川寛斎氏(元名誉会長  産婦人科医)が、主治医の三井先生の委嘱を受け、1970年(昭和45年)6月13日「心臓ペースメーカー友の会」を東大・好仁会で発足させました。その後、1972年(昭和47年)5月20日に「日本ペースメーカー友の会」へと名前を変更し、1980年(昭和55年)6月15日には現在の名称である「日本心臓ペースメーカー友の会」に改称しました。

早川寛斎氏は、2000年(平成12年)1217日に天寿を全うされるまでの32年に亘り、会長、名誉会長を務め、ペースメーカーによって救われたことに「感謝」 し、「報恩」「奉仕」の理念のもと、友の会の基盤を築かれました。

1993年(平成5年)10月、当会は名誉ある「第45回 保健文化賞」を受賞しました。画期的な「患者・家族・医師・技術者・機器メーカー等」の協力体制を持つ患者団体として現在に至ります。

目的

心臓ペースメーカー(PM)/ICD(除細動器)/CRT-P(両室ペースメーカー)/CRT-D(除細動機能付き両室ペースメーカー)等 生命維持装置(以下「心臓ペースメーカー」)によって命を救われたことを認識し、「感謝」「報恩」「奉仕」の精神に基づいて 会員の適切な健康管理並びに安心快適な「QOL」(生活の質)の確保を図り、もって社会福祉の向上に貢献する。

事業紹介

  1. 心臓ペースメーカ等ならびに健康管理に関する知識の向上
  2. 大学、病院その他医療機関等との相互交流
  3. 会誌の発行
  4. 会員相互の親睦、情報の交換
  5. その他本会の目的達成に必要な事項

創立及び歴代会長

創立 1970年(昭和45年)6月13日 

1970年 早川寛齊氏(ペースメーカー植込み医師患者として第1号)が、初代会長に就任
1994年 三枝正裕氏(東京大学名誉教授)が、2代会長に就任
1994年 早川寛齊氏が、名誉会長に就任(2000年まで)
2001年 堀原一氏(筑波大学名誉教授)が、3代会長に就任
2012年 須磨幸蔵氏(東京女子医科大学名誉教授)が、4代会長に就任
2017年 三井利夫氏(筑波大学名誉教授)が、5代会長に就任
2021年 戸川達男氏(早稲田大学人間総合研究センター)が、6代会長に就任

早川 寛齊
1970昭和45)613日~1994平成6)72

三枝 正裕
1994平成6)73日~2001平成13)919

堀 原一
2001平成13)920日~2012平成24)1021

須磨 幸蔵
2012平成24)1022日~2017平成29年)331

三井 利夫
2017平成29)41日~2021令和3)626

戸川 達男
2021令和3)712日~

シンボルマークの由来

日本彫塑会や日展の会員で、日展最高賞の「内閣総理大臣賞」受賞の経歴もある親松英治氏による作。
当会に寄贈され、「かていてる」第8号 No.1(1976年)から表紙に使われている。

中央にある円の中の図形は、ペースメーカー機器から心臓に送られる刺激電流の波形を、第5代会長の三井利夫先生が1976年開催の国際心臓ペーシングシンポジウムのために図案化したロゴマークである。

それを月桂冠で囲んだのは心臓病に対する医学の勝利を意味する。